昨日見た機動戦士ZガンダムII 恋人たちですが。
じっくり思い返しているうちに、ふとあることに気付きました。
この映画では、ヒロインが二人いると言えます。
つまり、目立つ少女が二人出てくるということです。
おおざっぱに言えば、前半はフォウ。後半はサラです。
なぜ目立つ少女が二人も出てくるのか。
普通に考えれば、ヒロインは一人に絞って、彼女だけ強く印象が残るように構成すべきです。それにも関わらず、なぜ二人なのか。
その理由が何となく見えてきました。
ジェンダー的な対比 §
ジェンダー(社会的な意味での性的な役割)として見た場合、フォウは男性的であり、サラは女性的であると見ることができます。
つまり、この二人の少女は、相反するベクトルを持っていて、主人公であるカミーユを挟み込むような位置にあると言えます。
以下、そのことを説明します。
フォウのジェンダー §
フォウは、登場早々、上官に向かって自分は勝手にすると宣言します。そして、他人の指図は受けず、自分の考えで行動します。カミーユに対しても自分から積極的に接触していきます。カミーユとのキスも、フォウから誘いかけています。最終的にカミーユに対する好意を自覚した後の行動も、全て自分が主導権を取り、自分だけの力でカミーユを宇宙に送り届けようとします。カミーユと力を合わせて、とすら考えません。あくまで自力です。
他人の言うことを聞かず、突進するフォウは、最終的に破滅を回避できません。
つまり、フォウは自らが主体的であり、周囲を従属的に従わせていくタイプであり、ジェンダー的には男性的な存在と見ることができると思います。
そのことは、暖かみのない唇の色というファッションで表現されているとも言えます。
サラのジェンダー §
命を張った潜入工作に繰り返し自発的に単身出て行ったり、明らかに危険な男であるシロッコの近くに好んでいるようなところから、サラは破滅願望を持ったマゾ気質の持ち主と見ることができます。
マゾ気質とは、サラを痛めつける敵にすら、寛容の心や愛情を抱きうること示します。それが、カツを気に入ってしまったり、カミーユがアイスを買ってくるまで逃げないで待っているといった行動につながると見ることができるかもしれません。
しかし、それだけではありません。彼女はずるく立ち回る才覚が極めて強く発達しています。2回も、口八丁の演技でアーガマを脱出する手腕は見事という他ありません。
このような演技とずるさは、ジェンダー的には女性的な特質と言えます。敵、味方という区別の他に、自分という立場があり、状況の中で自分を有利にするために小ずるく立ち回ることができます。
それゆえに、明らかに危険な任務、危険な状況にありながら、実はこの映画の中では破滅することがありません。
フォウとサラの間で男を回復するカミーユ §
フォウの前に立ったカミーユは、むしろヒロインの立場に立っているとも言えます。
女と思われることを嫌がっていたカミーユが、まさにジェンダー的に女の立場に立たされるのです。
そこで、ジェンダー的に女になったカミーユは、女性的な名前との間の矛盾が解消され、開放されます。
そして、ファやサラの前に立つカミーユは、コンプレックスの屈折にとらわれず、男性としての態度をストレートに見せることが可能となるわけです。
特にサラとの関係で、カミーユは主導権を握ります。フォウから女の子のように扱われたカミーユが、サラに対しては男として振る舞います。尋問ではうまくサラにボロを出させ、爆弾騒ぎでは爆弾探しを手伝わさせた挙げ句、押し倒し、気絶させるところまでやります。ここでカミーユは、ジェンダー的に男の立場を手に入れます。
この映画は、そのような構造により、カミーユが「女扱いされる」というコンプレックスから解放される映画ということが言えるかもしれません。
そして、カミーユの開放を描くためには、ジェンダー的に対称的な二人のヒロインが必要であったと言えるかもしれません。
オマケ・TDF-PO1って…… §
背景の看板に、ふっとTDF-PO1と書かれていたような気がしました。
TVシリーズのZガンダムが作られていた時代は、まだそういうキーワードの力があった時代なのですね。ちょっと感慨深く感じてしまいました。
え? TDF-PO1が何か分からない?
分からない人は検索して調べるべし。
ちなみに、後半は「ぴーぜろいち」ではないことに注意!